東夷および夷の称呼(つづき)

 元亨二年の春、奥州に安藤五郎三郎、同又太郎と云ふ者あり。彼等が先祖安藤五郎と云ふ者、東夷の堅めに、義時が代官として、津軽に置きたりけるが末なり。此の両人相論ずる事あり。高資数々賄賂を両方より取りて、両方へ下知をなす。彼等が方人の夷等合戦をす。是によりて関東より打手を度々下す。多くの軍勢亡ひけれども...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 05:37 pm  

武骨一遍の勇士

とある荒夷も、物のあわれを知らぬげに見ゆる武骨一遍の勇士のことを言いたるものなり。 これらはいずれも都人より関東武士を指せるものなれども、関東武士自身また、他より然か言わるることを覚り、時としてみずからこれを口にすることあり。『貞永式目』に関して北条泰時より六波羅探題に遣わせる「消息」に、[#こ...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 05:36 pm  

蝦夷を東夷中の一種と説き給えるなり

とありて、明かに蝦夷を東夷中の一種と説き給えるなり。ここにおいて世あるいは蝦夷以外にも、わが東国の古代には他の異族ありしことを認めんとするものあり。『常陸風土記』にも、在昔常陸には蝦夷すなわち山の佐伯《さえき》、野の佐伯のほかに、土蜘蛛すなわち八掬脛《やつかはぎ》なるものの住せしことを説けるによりて...

このエントリーの続きを読む≫

— posted by id at 05:36 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0623 sec.

http://aqualine2001.com/